下間仲潔書状
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【基本情報】
一包一紙
・下間仲潔書状
(法量)縦約39.7糎 横約52.7糎
(年代)嘉永二(一八四九)年二月五日付
(差出)下間少進法印
(宛名)善照寺門徒大和国吉野郡宮瀧村 今西新兵衛
(形状)折紙
(包紙上書)「善照寺門徒大和国/吉野郡宮瀧村/今西新兵衛殿 下間少進法印」
【状態】
虫損(小)
【翻刻】
(本文)
端書無之
今般 思召を以
御詠歌あたし野の
御染筆被成下候間
難有頂戴可有之候也
下間少進法印
嘉永二己酉年
(花押)
二月五日
善照寺門徒大和国
吉野郡宮瀧村
今西新兵衛殿
【商品説明】
本品は嘉永二(一八四九)年二月五日に、浄土真宗本願寺派の家臣である下間仲潔(一八〇五〈一八〇四〉〜一八七一)から、善照寺(現在の奈良県生駒郡安堵町大字東安堵に位置する龍華山善照寺〈浄土真宗本願寺派〉か)の門徒である今西新兵衛に宛てて送られた書状である。
この度の今西新兵衛からの志により、「あたし野の」から始まる御詠歌(浄土真宗本願寺派第二十世宗主の広如のものか)を下付するので、ありがたく頂戴するようにとの旨が記されている。
下間仲潔は丹波綾部藩主九鬼隆郷の三男で少進家下間仲旧の養子となり、天保九(一八三八)年法印となった人物。
吉野郡宮瀧村(現在の奈良県吉野郡吉野町宮滝)の今西新兵衛は、管見の限り、同じく浄土真宗本願寺派の家臣である島田正辰から、本品と同様に御詠歌を下付される旨の書状が送られている。また末永雅雄『宮滝の遺跡』(桑名文星堂、一九四四年)には、宮滝在住の今西新兵衛からの過去の聞き取り情報が載せられているが、年齢に齟齬があるため、おそらくこの新兵衛は本品の宛名にある新兵衛の息子と思われ、代々新兵衛を名乗っていた地域の有力者であったと考えられる。
これは真宗大谷派の場合であるが、当時の門首である厳如やその父である達如は有力な町人に対し、自製の和歌を短冊などに記して与えており、これら短冊の類を下付されたときの礼金は、五百疋(近世後期では約二両分)ぐらいであったことを考えると、今西新兵衛は熱心な有力門徒であったことが窺える。
(参考文献)
・柏原祐泉など監『真宗人名辞典』(法蔵館、一九九九年)「下間仲潔」「島田正辰」の項
・中東洋行「吉野宮をみる視点ー過去から うたから 調査からー」(奈良県大淀町教育委員会編『「吉野宮の原像を探る」資料集』〈奈良県大淀町教育委員会、二〇一六年〉)
・奈良本辰也・百瀬明治『明治維新の東本願寺』(河出書房新社、一九八七年)
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