1/14

里村紹巴元三試筆

¥106,000 税込

残り1点

別途送料がかかります。送料を確認する

【基本情報】
一幅
慶長元年の大晦日の詠と慶長二年の歳旦句
慶長二(一五九七)年元三
本紙縦27.5糎 横36.8糎
総丈縦118.1糎 横55.2糎
紙本墨書
軸装
箱無し

【状態】
天に薄らとシミ及び虫損
風帯に虫損と破損(千切れ)
本紙に折れ・虫損
地に虫損

【翻刻】
(本文)
相坂の山下に隠住して慶長/元年の晦日
なからへて憂山すみも七十年の/三冬の暮のおしまるる哉
慶長二年/元三試毫
谷も今朝けそならぬ春の日かり哉
七十三歳/紹巴


【商品説明】
里村紹巴(一五二四または一五二五〜一六〇二)は
室町時代から安土桃山時代にかけて活躍した
連歌師である。
周桂・里村昌休・三条西公条などに
連歌・和歌・古典を学び
昌休没後は里村家を護り
昌休の子である昌叱を養育した。
そして当時の連歌界を代表した谷宗養の没後は
その道の第一人者として活躍し
公家・武家・寺家を問わず多くの人々と交渉があった。
なお生存中に里村姓を称した形跡はなく
里村紹巴と呼ばれるのは
江戸時代になってからと考えられている。

本品は紹巴が文禄四(一五九五)年に起きた
豊臣秀次の事件に連座し
近江国園城寺(三井寺)の前に蟄居させられていた
慶長二(一五九七)年の元三に書いた
試毫(書き初め)である。
阿蘇大宮司惟前の子内記惟賢(玄与入道黒斎)が
記した紀行文『玄与日記』によると
玄与が慶長二年正月に歳旦句として
「こそたちて今朝光そふ春日哉」の発句を詠み
七日にこれを発句として独吟の百韻を詠むと
批評をしてもらうために
使者を紹巴のもとへ届けさせた。
その帰りに紹巴から預かった詠草には
酔った挙句の狂句とともに
歳旦句と紹巴七十三歳の年の暮れの晦日の詠として
掲出の「谷も今朝よそならぬ春の光かな」と
「なからへて浮山住も七十のみ冬の暮のおしまるるかな」
が書き付けてあったとある。
また歳旦句は『紹巴発句帳』(明治大学図書館本)の
四十五句目にも載せられている。

掲出の歳旦句と大晦日の詠に関して
先行研究によると
他にもこれらの句や詠を記した
紹巴の自筆史料がいくつか現存しており
前者には「試筆」として歳旦句をあげた後に
「相逢山下閑居にして 七十三歳 紹巴」とあるもの。
後者には「慶長元年」と年号が入れてあり
詠の第三、四句が「七十年の三冬の暮の」とあるもの。
「相坂山のほとりの隠家にして慶長元年の晦に独酌酔中之口号 七十三歳 紹巴」という詞書のあるもの。
「於三井寺辺 慶長元年也」の詞書を含めた賛がある紹巴自画像。
「七十三年歳暮三井寺辺にて」の詞書を持つ短冊(慶應義塾大学所蔵のものか)がある。

また紹巴は
天正十(一五八二)年〜天正十一(一五八三)年を境に
年齢の数え方が一年ずれることが知られているが
上記にあげた自筆史料からもわかるように
天正十一年以後も
天正十年以前の数え方をしているものがある。
本品も天正十年以前の数え方をする史料
(両角倉一氏の研究によると甲群に属する)である。



(参考文献)
・国史大辞典編集委員会編『国史大辞典』第六巻(吉川弘文館、一九八五年)「里村紹巴」の項(奥田勲氏執筆)
・国史大辞典編集委員会編『国史大辞典』第五巻(吉川弘文館、一九八五年)「玄与日記」の項(原口虎雄氏執筆)
・小高敏郎『ある連歌師の生涯ー里村紹巴の知られざる生活ー』(至文堂、一九六七年)
・両角倉一『連歌師紹巴ー伝記と発句帳ー』(新典社研究叢書 一四四)(新典社、二〇〇二年)
・綿抜豊昭『連歌とは何か』(講談社、二〇〇六年)

商品をアプリでお気に入り
  • 送料・配送方法について

  • お支払い方法について

¥106,000 税込

最近チェックした商品
    同じカテゴリの商品
      その他の商品
        CATEGORY