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島津重豪書状
¥11,000
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【基本情報】 一幅 松平⬜︎之介宛 (年不詳)十二月二十三日 江戸後期〜明治期か 本紙縦18.6糎 横52.9糎 総丈縦112.0糎 横66.1糎 紙本墨書 軸装 【状態】 虫損(小) 表具や本紙に折れ 軸付近に破れ 天に破れと傷み 日焼け(風帯の痕跡あり) 防虫剤かのニオイあり 【翻刻】 (本文) 去月九日附之御状相届具ニ 拝見甚⬜︎之之節候得とも御⬜︎(樹?) 益御安栄類⬜︎之御⬜︎(無?)⬜︎中 御召被仰分入候[ ]忝奉存候 且又春去日御尊父様御行く⬜︎ 御出府⬜︎⬜︎候内先々目出度事 折角御⬜︎(明?)之⬜︎候且又⬜︎(得?)⬜︎(是?) ⬜︎ 気之御見[ ]分方[ ] 乱筆早々如此郎も[ ] [ ]候恐々謹言 十二月弍三日 松平栄翁 松平⬜︎之介様 尚々御尊父様[ ]御[ ]候 [ ]内[ ]尊⬜︎ 急⬜︎乱筆御用[ ] (見返し裏) 栄翁君 【商品説明】 本品は松平栄翁なる人物が松平⬜︎之介に宛てた書状である。 江戸時代に栄翁と号す人物として有名な人物には、薩摩藩第八代藩主の島津重豪(一七四五〜一八三三)と弘前藩第五代藩主の津軽信寿(一六六九〜一七四六)がいる。その内、松平氏を下賜されているのは島津家のみであるので、本品は島津重豪からの書状と推定できる。 内容は字が潰れていたり、かすんでいる個所が多いため、全体を把握しきれないが、十一月九日付で松平⬜︎之介から送られた書状の返信であること、松平⬜︎之介の父に関して記されていることが窺える。また文中に「乱筆」とあり、重豪直筆の書状である可能性があるが、筆跡での判断材料となる他の重豪直筆の書状を確認できないため、本品は写しとしておく。
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下間仲潔書状
¥5,000
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【基本情報】 一包一紙 ・下間仲潔書状 (法量)縦約39.7糎 横約52.7糎 (年代)嘉永二(一八四九)年二月五日付 (差出)下間少進法印 (宛名)善照寺門徒大和国吉野郡宮瀧村 今西新兵衛 (形状)折紙 (包紙上書)「善照寺門徒大和国/吉野郡宮瀧村/今西新兵衛殿 下間少進法印」 【状態】 虫損(小) 【翻刻】 (本文) 端書無之 今般 思召を以 御詠歌あたし野の 御染筆被成下候間 難有頂戴可有之候也 下間少進法印 嘉永二己酉年 (花押) 二月五日 善照寺門徒大和国 吉野郡宮瀧村 今西新兵衛殿 【商品説明】 本品は嘉永二(一八四九)年二月五日に、浄土真宗本願寺派の家臣である下間仲潔(一八〇五〈一八〇四〉〜一八七一)から、善照寺(現在の奈良県生駒郡安堵町大字東安堵に位置する龍華山善照寺〈浄土真宗本願寺派〉か)の門徒である今西新兵衛に宛てて送られた書状である。 この度の今西新兵衛からの志により、「あたし野の」から始まる御詠歌(浄土真宗本願寺派第二十世宗主の広如のものか)を下付するので、ありがたく頂戴するようにとの旨が記されている。 下間仲潔は丹波綾部藩主九鬼隆郷の三男で少進家下間仲旧の養子となり、天保九(一八三八)年法印となった人物。 吉野郡宮瀧村(現在の奈良県吉野郡吉野町宮滝)の今西新兵衛は、管見の限り、同じく浄土真宗本願寺派の家臣である島田正辰から、本品と同様に御詠歌を下付される旨の書状が送られている。また末永雅雄『宮滝の遺跡』(桑名文星堂、一九四四年)には、宮滝在住の今西新兵衛からの過去の聞き取り情報が載せられているが、年齢に齟齬があるため、おそらくこの新兵衛は本品の宛名にある新兵衛の息子と思われ、代々新兵衛を名乗っていた地域の有力者であったと考えられる。 これは真宗大谷派の場合であるが、当時の門首である厳如やその父である達如は有力な町人に対し、自製の和歌を短冊などに記して与えており、これら短冊の類を下付されたときの礼金は、五百疋(近世後期では約二両分)ぐらいであったことを考えると、今西新兵衛は熱心な有力門徒であったことが窺える。 (参考文献) ・柏原祐泉など監『真宗人名辞典』(法蔵館、一九九九年)「下間仲潔」「島田正辰」の項 ・中東洋行「吉野宮をみる視点ー過去から うたから 調査からー」(奈良県大淀町教育委員会編『「吉野宮の原像を探る」資料集』〈奈良県大淀町教育委員会、二〇一六年〉) ・奈良本辰也・百瀬明治『明治維新の東本願寺』(河出書房新社、一九八七年)
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三河祐専寺文書
¥10,000
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【基本情報】 一包一紙 一包四紙 合計 二包五紙 一括 ・本願寺坊官連署奉書(歓喜光院御影御免につき) (法量)縦約19.2糎 横約51.4糎 (年代)文化五(一八〇八)年二月二十四日付 (差出)川那部将監宗政・粟津出羽介元陳 (宛名)本證寺下三州碧海郡宗定村祐専寺願主誠一 (形状)切紙 (包紙上書)「三州/祐専寺」 ・覚書(御染筆御礼等) (法量)縦約16.2糎 横約37.5糎 (年代)辰年四月二十七日付 (差出)長浜屋伊三郎 (宛名)祐専寺 (形状)切紙 (包紙上書)「願主誠一/歓喜光院様御影御印旨」 ・歓喜光院様御表具中金銀子収納覚 (法量)縦約18.7糎 横約24.3糎 (年代)寅年二月四日付 (差出)御表補絵会所 (宛名)三州祐専寺 (形状)切紙 ・歓喜光院様御影料覚 (法量)縦約18.6糎 横約25.2糎 (年代)二月四日付 (差出)御絵所会所 (宛名)三州祐専寺 (形状)切紙 ・上納目録(歓喜光院様御礼) (法量)縦約18.9糎 横約27.6糎 (年代)辰年四月二十七日付 (差出)極印所白瀬善次 (宛名)三州祐専寺 (形状)切紙 【状態】 良好 【翻刻】 (本文) 判読可能なものは各調査カードの裏面に記入 【商品説明】 本品は真宗大谷派の本山である東本願寺の関係各所から、愛知県豊田市畝部東町宗定に位置する薬林山祐専寺(真宗大谷派)に宛てて送られた古文書群である。 祐専寺は、奈良時代の創建で、文明年中(一四六九〜一四八七)真宗に改宗と伝え、薬師如来縁起を所蔵する。慶應四(一八六八)年の本証寺末寺帳に祐専寺の名がみえるが、本品の本願寺坊官連署奉書の宛名に「本證寺下」とあることから、江戸後期にはすでに本証寺の末寺となっていたことが窺える。 本品は本願寺坊官連署奉書の差出日から、東本願寺第十九代である乗如(歓喜光院)の十六回忌の年にあたる文化五(一八〇八)年に、祐専寺から東本願寺へ乗如の御影授与を要望した際の金銭のやり取りに関する古文書群である。 (参考文献) ・平凡社地方資料センター編『愛知県の地名』(日本歴史地名大系 二十三)(平凡社、一九八一年)
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伝世尊寺行尹古今集切
¥40,800
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【基本情報】 一枚 古今和歌集 三九六番和歌〜三九九番詞書(途中) 南北朝時代か 畠山牛庵(三代)極札付 本紙縦21.7糎 横14.5糎 極札縦14.5糎 横2.2糎 紙本墨書 未装 【状態】 (本紙) 四隅に傷みあり(補修あり) 虫損極小あり 折り目跡あり シミ少しあり 裏面四隅に糊跡あり (極札) 虫損小あり 【翻刻】 (本紙) あかすしてわかるるなみたたきにそふみつまさるとやしもは/見ゆらむ かむなりのつほにめしたりける日おほみき/なとたうへてあめのいたうふりけれはゆふ/さりまて⬜︎(侍か)てまかりいてけるおりにさかつきをとりて つらゆき あきはきのはなをはあめにぬらせとも君をはましておし/とこそおもへ とよめりけるかへし 兼覧王 おしむらむ人のこころをしらぬまにあきのしくれと身そ/ふりにける かねみのおほきみにはしめてものかたりして (極札) 世尊寺行尹 あかすして (随道)(瓢型朱印) 【商品説明】 江戸時代の古筆鑑定家である畠山家の三代畠山牛庵(?〜一七二七〜?)(二代牛庵の養子で名は重好、随道と号す。享保十二〈一七二七〉年遁世。)の極札が付属しており、これは料紙や筆跡、極印から贋極札ではなく牛庵によるものと思われる。 本文は定家本系で、本古筆切や極札の裏面には糊跡があり、元は手鑑に貼られていたものであろう。 伝称筆者である世尊寺行尹(一二八六〜一三五〇)は世尊寺経尹の息。世尊寺家第十二代当主で、世尊寺三筆に数えられる(『書言字考節用集』)。行尹を伝称筆者とする古今和歌集については、静嘉堂文庫蔵『古筆切目安』の「行尹」の項目に、「(▲古今序 六半 チラシ書所補)」と登録されているものと、重要美術品とされる天理大学附属天理図書館蔵の正中三(一三二六)年の書写本がある。行尹の真蹟資料としては、前田育徳会蔵『短冊帖』(行尹花押)や、大阪市立美術館蔵「足利尊氏稲荷社奉納願文」(尊氏花押・行尹筆)、「七社切」が考えられており、特に「七社切」は仮名の部分も豊富である点から、行尹筆の仮名切の真偽判定には恰好の基準と考えられている。 そこで本古今集切と比較してみたところ、「七社切」に見られる癖がほとんど見られないため、行尹とは別筆だと思われるが、行尹が活躍した南北朝時代ごろに書かれたものであろう。 また行尹を伝称筆者とする古今集切は伝存数が極めて少ないため、貴重な史料である。 (参考文献) ・「新編国歌大観」編集委員会編『新編国歌大観』第一巻 勅撰集編 歌集(角川書店、一九八三年初版) ・伊井春樹・大阪大学古代中世文学研究会編『新版古筆名葉集』(古代中世文学資料研究叢書2)(和泉書院、一九八八年) ・小林強・髙城弘一共著『古筆切研究』第一集(思文閣出版、二〇〇〇年) ・天理大学附属天理図書館編『和歌の時代ー古今集そして新古今集ー』(天理大学出版部、二〇〇二年) ・村上翠亭・高城弘一監修『古筆鑑定必携ー古筆切と極札ー』(淡交社、二〇〇四年)
大阪府公安委員会許可
第62105R050655号
切通広貴

